寝言

好きな子たちを勝手に語る

自軍の進化を目の当たりにして降りかけた話

一番大切なことなので前置きしておきますが、結果的に降りていません。
今日も元気にトラジャ担、川島担として生きています。

もう一度言います。

絶対に降りていません。




以上のことを踏まえた上で、
一般的に広く受け入れられないかもしれない話がこの先続くことをご了承ください。
なんで今こんな話なんだという謎タイミングですがライブ直後で大盛り上がりの中する話ではないし、ひと段落して今ならみんなの意識は間違いなく虎者にいっている今が私的にはベストタイミングというわけです。








私は本来Enterに参戦予定だった。
大阪城ホールもぴあアリーナも奇跡的に両方取れ、初めてトラジャに如恵留くんに会えるはずだった。
こうなってしまったことは仕方ない。
一番辛いのは彼らだ。
だからこそ、配信でもEnterを見ることが出来るのが本当に嬉しかったし、オタク側の気合いの入れようも期待も半端なかった。




26日17時半公演

いろんなものがこみ上げ、始まった瞬間から号泣。
大興奮のまま(やっぱりトラジャはすげえ!!最高天才だ!!!)と感情のトップギア入りっぱなしのテンションで終えるものだと私自身も思っていた。


自身のテンションに違和感を感じたのは
MCの後の16曲目
『朝日を見に行こうよ』

サマパラから感じていた、元太はしっかりと歌で気持ちを伝えたいんだなという方向性を改めて実感させられた。
如恵留くんのピアノもちゃかちゃんのカホンも元太のウクレレも落ち着いた少し大人の雰囲気が良かった。
良かったと思う心のどこかで(Vanillaみたいな攻めた感じのも見たかったなあ)という気持ちも拭えなかった。
どっちが良い悪いじゃなくて、ただの私の好みの話。

でもここでの問題は曲がどうこうじゃなく、私が自分の感情にきちんと向き合わなかったことだった。
好みは仕方ないことで誰にでもある。
これも良いけど私はああいうのも好きだなあって思うことは悪いことじゃない。
そうやって片付けさえすれば良かったものを、私はただ曖昧なもの抱えてるという感覚のまま次の曲にいってしまった。


それが17曲目『夢のHollywood』
たぶんいつもの夢ハリならなんの問題もなかった、いつも通りやっぱり夢ハリは最高!!!!と単純に回復していたと思う。
でも今回の夢ハリは違った。
最初から、どことなくいつもの夢ハリとは異なる空気みたいなものを感じた。
みんなで楽しいショータイム!というよりは、強さとか決意が全面に出ていて。どことなく、8.8の夢ハリに近いような。
そんな勘のようなものが見事に当たり今までずっと見てきたタップダンスが無くなり、ちゃかちゃんも一緒に〜!とタップを煽ってくれない、なぜか回収され空に上がっていくステッキ。


(…これは…夢ハリ、なのか…???)


変化に理解が追いつかなかった。
消化出来たはずの少しのモヤモヤがここで誤魔化し切れないほど大きく膨れ上がってしまった。
ちょうどYouTubeで夢ハリ定点が上がってめちゃくちゃ繰り返し見たのも相まって、『俺たちの夢ハリ』みたいな感覚がこの物凄く昂まっていたせいもあったと思う。
何か大きなものを失ったような、大切なものが消えてしまった喪失感すら感じた。

元々ネガティブですぐ悪い方に考えてしまうクセが付いている私はここからの加速がすごかった。


(私の好きなトラジャはもう居ないのかもしれない)


そんな考えが消えないまま大好きな『愛のかたまり』が始まって、それは間違いなく大好きなトラジャのパフォーマンスのはずなのに、生まれてしまったどうしようもない感情を消し去るまではしてくれなくて。


ひたすら(どうしようどうしよう)と追い詰められるような息苦しさの中始まってしまった、『め』

今このテンションでそれはキツい(号泣)

皮肉なことに、トドメをさしたのは自担だった。自担だけに威力が凄まじかった。100年ぶりに弾幕を見た。
そこからはもうただ雪だるま式に不満だけが増幅した。
何もかもが無理になった。ずっと見たかった『Sugar』で一瞬回復して、でもほんと一瞬で。



大興奮と大号泣で終わっているはずが、最終的に私は無表情だった。感情も無だった。


頭の中では昔風間くんがテレビで言っていた『勝手に嫌いになったのはそっちの落ち度だぞ』がぐるぐるとしていた。
これは私がオタクをやる上でのモットーで、
気に入らないことがあっても解釈が違ってもそれは私が勝手にそう思っただけで推しにはなんの落ち度もない私だけの問題。
だからそうなった時は、文句や恨みを並べるんじゃなくて「もう違うんだ」と相違を受け入れて離れなきゃいけない。


私とトラジャの間にそんなことはそう簡単に起きないと思っていたけれど、こんなに早くその時が来るとは…と本気で覚悟を固めようとしていた。




そんな時友達から感想のLINEがきた。
こんな状態でもちろん上手く返せないまま、でも誰かに聞いて欲しくて、空気を悪くするのは申し訳ないと思いつつ全てを打ち明けた。
もう降りた方がいいかもしれないと。

ジャニオタ歴の長い友達は理解してくれた。
「私なんてライブで満足したの今まで数回しかないよ笑」
と教えてくれて、少し楽になった。




とりあえず一晩考えて、日曜の公演までにどちらでもいいからとにかく感情の置き場をひとまず決めることにした。
きっとまず真っ先に解決しなきゃいけないのは新しい夢ハリとの折り合いの付け方だと思い、記憶を掘り起こしながらいろんな人の感想を見た。
自分が疑問に感じたポイントやどうあって欲しかったのか、すべてに向き合わなければと思った。


旧夢ハリは5人から7人になったトラジャの物語を見ることができる、でも新しい夢ハリにそれを彷彿とさせる演出はもう無くて。
7人になった素晴らしさ尊さはそれとして、それに浸る段階じゃもうないのかもしれないと思った。
7人になったということよりも、7人でいることは大前提として夢を叶えることに焦点を置いたのが新夢ハリなのかもしれない。
そう考えていくうちにモヤモヤが少し薄れた。


トラジャは変化したんじゃなくて、進化したのかもしれない。


私は拳ひとつで、ダンス・パフォーマンスで全てをぶん殴っていくトラジャが大好きだ。
だからEnterの凝った演出も最初は理解できなかった。
なんでこんな派手な事するんだろう彼らはダンスだけで十分魅せられるのに…そんなにたくさん武器装備しなくても拳ひとつで戦えるよ…プリキュアみたいなもんじゃん…って思ってた。


でもそれは、私がそういうのが好きなトラジャ担だからそう思うだけだった。
人それぞれ好みは違う。トラジャ担という括りの中でも同担であっても好みが一致するとは限らない。
トラジャ担じゃないなら尚更のこと。

これから彼らはもっともっと今より広い世界に行かなければいけない、もっとたくさんの人に見てもらってたくさんの人を魅了しなければいけない。
そのためには武器なんてたくさんあったほうがいいしどれだけあっても困らないし、幅広い層のハートを掴むためにも多種多様な魅せ方があった方がいい。


そのために何が出来るのか何が必要なのか、本人たちも事務所も模索しているのではないだろうか。
何かしらの結果を得るためにはまずトライしてみることが必要で、やってみて「あぁ違った」なんてことはどうしたって起こる。そんなの私たちの仕事でもよくある。
デビューしていないなら尚更のこと、自分たちの可能性を探るためにもとりあえず出来ることは何でもやってみる時期なのかもしれない。
それならば、私はその過程をトラジャと一緒に見て行きたい。



と、日曜日の昼公演が始まるギリギリまで友達に聞いてもらいようやくスッキリ整理をすることが出来、そのおかげで昼公演以降はめちゃくちゃ引くほどの大号泣で終了した。
新夢ハリはもうすんなりと受け入れることが出来たし、それさえクリアしてしまえばもうあとは普通に楽しいことしかなかった。
如恵留くんはいつだって全てかっこいいし大好きに変わり無かった。自慢の自担だった。

たしかなモノなんてない
でもずっと信じて行くよ

ああ全てこれじゃんって気付いてからはもう本当に涙が止まらなくて、ひたすら(ごめんなさいごめんなさい)と繰り返すことしかできなかった。
ほんの1日でもトラジャを疑ってしまった自分が愚かで許せなかったんだと思う。
最終公演の最後の挨拶でちゃかちゃんが「たしかなモノなんてない、でもずっとみんなを信じて行きます」と言ってくれて、もうほんと死ぬんじゃねえかってくらい泣いた。
最後に必ず幸せをくれるトラジャがやっぱり好きなんだなと心から思えた。
素晴らしいEnterを見せてくれて本当にありがとう。






某雑誌にこう書いてあった。

とにかく一回やらせてみて違うと思ったら違うことをやればいいし

その『違う』が向こうサイドとオタクサイドで合致するとは限らないけれど。
それこそそのズレが受け入れられなかったらそれはその時なんだと思うし、そんなときもあるよなって思えてもいいし、少し離れて様子を見たっていいんだよなと思えた。

 
今のままでいてほしい気持ちは確かにある。
でも今のままじゃいられない、変わっていかなければならない、成長や進化をしなければ得られないものがある。
その中で(これはちょっと違うかな…)というズレが起きることは誰もがあるのかもしれない。
私はいつでも全肯定したいし凄いね!天才だね!優勝!って褒め称えたいけど、毎日穏やかに楽しくオタクをできればそれに越したことはないけど、とくにJr.担はそうもいかないことも多いから…。
今の段階で降りる降りないを考えるタイミングがあったことには多分意味があるんじゃないかと思う。
タイミングが悪かったら手に負えなかったかもしれない。


思い込みが激しくてネガティブな私なので
この先またこんな風に思い悩む時が来てしまう可能性も無いとは言えない。
でもそんな時は、まず一旦この日のことを思い出したい。
そんな指標になる日が出来てよかったと思う。




今日も私はトラジャが大好きだし
如恵留くんが世界で一番大好きだ。




それを大切にしていくためにこのブログを書いてる。
デビューしたときに読み返して
(こんなこともあったねえ〜)と笑うために。
だからこんな一見マイナスに思えるようなことも残して置きたかった。
私がトラジャ担として生きる中で忘れてはいけない出来事のひとつになると思ったので。